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【特集】明智光秀 所縁の城


【特集】明智光秀 所縁の城

2020年のNHK 大河ドラマの主人公が明智光秀に決まったタイミングよりこの企画を考えていました。
私が子供の頃(30年以上前)は一般に主家を裏切った悪者とか三日天下だとか悪いレッテルを貼られていましたが,その頃から気になる武将でしたので,主人公として採り上げられることは喜ばしいことです。
現在ある歴史の多くは勝者によるものです,子供の頃から敗者の真実に興味を持っていたのかもしれません。
最近では研究も進み,信長家臣団でも飛び抜けて有能であったことや,地元では非常に人望暑く非常に優れた政治家であったことも知られるようになり,本能寺の変自体も従来に言われていたような怨恨によるものであるとか,そのような単純なものでは無いという説が増えています。 ますます目が離せない武将ですよね。

【謎に包まれた前半生~織田家仕官まで】
●光秀の出生については確定資料がありませんが,光秀が生まれたとされる候補の一つが美濃国の明智長山城です。
●青年期も不明な点が多いのですが,明智一族の離散に伴い越前 一乗谷(現 一乗谷朝倉氏遺跡)の朝倉氏の元に身を寄せたとされます。その頃,同じく朝倉氏を頼った後の室町幕府十五代将軍 足利義昭と接触を持ったと考えられています。
●1568年 光秀は当時,岐阜城を本拠地とした織田信長と足利義昭を結びつける仲介役として史料に登場します。
明智光秀ゆかり/01明智長山城.jpg 明智光秀ゆかり/02一乗谷城.JPG 明智光秀ゆかり/03岐阜城.JPG

【信長旗下としての活躍】
●1570年 金ケ崎の戦いで信長軍は朝倉方の金ケ崎城手筒山城を攻略後に浅井長政の裏切りに会い,織田信長は京へ撤退を行います。この時,光秀は羽柴秀吉,池田勝正等と殿軍を務め活躍しました。
この後,光秀は近江の拠点であった宇佐山城を任され,近隣の土豪の調略を担当しました。
●1571年 比叡山焼き討ちで成果を上げた後,最後まで本拠地となる坂本城を築城を開始ました。
明智光秀ゆかり/04宇佐山城.JPG 明智光秀ゆかり/05坂本城.JPG

●1573年 槇島城に籠る足利義昭との戦いにも参加し,かつて仕えた室町幕府の終焉に立ち会うことになりました。
●1576年~1578年にかけ光秀は信長軍として機内各地を転戦します。
石山本願寺との天王寺の戦いでは天王寺砦で窮地に陥りますが,信長により救援されています。さらに雑賀衆との戦いや松永久秀が籠る信貴山城,荒木村重の有岡城,播磨への援軍として神吉城 等の攻城戦に加わりました。
●1578年には娘婿である津田信澄の居城である大溝城の築城を手伝い,坂本城とともに琵琶湖を押さえるネットワークを形成しました。
明智光秀ゆかり/06槇島城.JPG 明智光秀ゆかり/07信貴山城.JPG 明智光秀ゆかり/08有岡城.JPG
明智光秀ゆかり/09神吉城.JPG 明智光秀ゆかり/10大溝城.JPG

【丹波攻略と平定】
●光秀は丹波攻略は1575年~1579年にかけて行われました。
中でも光秀を苦しめたことで有名なのは八上城の波多野秀治,黒井城の赤鬼こと赤井直正です。1575年の戦いでは波多野秀治の裏切りにより挟み撃ちされるなど苦戦しています。
金山城は波多野,赤井の両者を分断すべく1578年に光秀によって築かれました。
明け光秀ゆかり/11八上城.JPG 明け光秀ゆかり/12黒井城.JPG 明け光秀ゆかり/13金山城.JPG

●丹波国は小豪族が割拠する地域でしたが,光秀軍に攻め滅ばされる,または傘下に入るなどして次々と平定されていきました。青鬼の伝説が残る籾井氏の籾井城,荒木鬼こと荒木氏綱の荒木城。塩見氏の横山城(後の福知山城)や猪崎城,福井氏の守る丸岡城,塩貝氏の大戸城,中でも須知氏の須知城や内藤氏の八木城はその後も光秀の改修が入ったと考えられ,石垣造りの遺構が残っています。
明智光秀ゆかり/14籾井城.JPG 明智光秀ゆかり/15荒木城.JPG 明智光秀ゆかり/16猪崎城.JPG
明智光秀ゆかり/17丸岡城.JPG 明智光秀ゆかり/18大戸城.jpg 明智光秀ゆかり/19須知城.JPG
明智光秀ゆかり/20八木城.JPG

●丹波を平定した光秀が地域支配の中心としたのが丹波亀山城
光秀はこの城から本能寺に向かいました。
さらに重要拠点として塩見氏の横山城を修築し福知山城とし,東部の重要拠点として周山城を築城しました。
明智光秀ゆかり/21丹波亀山城.JPG 明智光秀ゆかり/22福知山城.JPG 明智光秀ゆかり/23周山城.JPG

【本能寺の変から滅亡へ】
●1582年 織田信長の居城である安土城にて客人である徳川家康の饗応役を務め,信長の不興をかったとされます。本能寺に変の理由として怨恨説の根拠とされている出来事の一つです。
●丹波亀山城に戻った光秀は羽柴秀吉の援軍に向かうはずでしたが,出陣後本能寺に向かい主君 織田信長を討ち,二条城(二条古城)にいた嫡子の織田信忠を討ちました。世にいう本能寺の変です。
●11日後には中国地方より取って返した羽柴秀吉軍との山崎の戦いで敗北します。
光秀は勝竜寺城より退却しますが,途中で落ち武者狩りに会い土民により殺害され波乱に満ちた生涯を閉じました。
明智光秀ゆかり/24安土城.JPG 明智光秀ゆかり/25二条城.JPG 明智光秀ゆかり/26勝竜寺城.JPG


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