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島添大里城 : 断崖の上に築かれた三山時代の巨大グスク跡


島添大里城 : 断崖の上に築かれた三山時代の巨大グスク跡

島添大里城(しましーおおざとぐすく)は、琉球の三山時代における島添大里按司の居城として沖縄本島の南部に築かれたグスク。標高150mほどの琉球石灰岩の丘陵上に位置し、頂部からは首里・中城・勝連まで見たわせるという。島尻地域の東半分を支配下としていた島添大里按司だが、15世紀初めに佐敷小按司(後の中山王)尚巴志に攻められ落城。ここを拠点として尚巴志により三山統一がなされた。沖縄戦での日本軍による陣地構築および米軍攻撃、また戦後の復興資材・公園化事業により城壁などの遺構の多くは消失・改変されたが、平成6年からの整備事業で戦後のコンクリート建設物の多くは撤去され、グスクとしての整備が行われている。

<基本データ>
●名称:島添大里城 (Wikipedia)
●所在:沖縄県南城市大里 (地図)
●城主:島添大里按司
●築城:14世紀頃か
●遺構:石積、井戸、御嶽
●時間:30分 (9:30−10:00)

訪問時期:2019年3月


<訪問記>

島添大里城(しましーおおざとぐすく)へ到着。向かいの大里城址公園体験交流センタの駐車場に車を停めて散策スタート。交流センタにパンフ等があるか訪ねてみたが誰もおらず施錠されていた。残念。
交流センタにあった付近の案内板。「現在地」の正面、濃い緑色の部分が史跡として保存・復元されているエリアだろう。元々 島添大里城は3万平方メートルを誇る琉球南部最大の城郭だったようで、現在の史跡エリアは一の郭とその周囲の主要部のみで、ほんの一部だけのようだ。
近くにあった大里城跡の案内板。南山王の王城としてふさわしい規模を誇る島添大里城だが、文書に記された王城の比定地としては実は他に糸満市の南山城も挙げられているとか。ただそちらは平城で規模が小さいため、個人的には断崖に守られたこちらが王城だったと推測する。
では城内へ。駐車場の正面にある広場は二の郭跡。元は東西を分割するように段差(城壁跡)があったが、戦後の造成で均されてしまったとか。正面に「グスク」と書かれたステージがある。正面奥の高台の上が一の郭になる。
一の郭へ上がる階段があった。コンクリートで固められており、左右に石積みらしきものも見える。あがってみよう。
階段の左右は段郭のような構造にも見えるが、あまり沖縄のグスクでそういった施設は見られないので、元々あった巨大な城壁の石が崩れたか崩したかでこういう形状になってしまったのかもしれない。
右の方を見ると石で囲われた穴が見える。資料にはウタムトゥノーイと書いてある。拝所だろうか。
石に囲まれた階段をあがっていく。このあたりの石材は石垣が崩されて再度集められたような雰囲気だが、場所によっては積み上げられた状態の石垣もあると資料にある。訪問時は結構草が生えており、階段から逸れて散策できなかった。
階段を上がりきると、一の郭へ。
一の郭に立てられている説明板。奥の一段高いところが正殿跡、手前の平場が御庭跡だとか。一の郭を囲む城壁が残っているという。
一の郭を囲む城壁跡か。採石のためか、ほとんど残されていない。
発掘調査で礎石等が出ている正殿跡の高台(右奥あたり)とその前の拝所、左奥の方は一段と高く石が積まれており、櫓台的な位置づけだったか。今は展望台になっているようだ。
では展望台へ上がってみよう。石灰岩の石材が散乱している。
高台の上へ。展望台になっている。この奥は断崖になっており、ちょうど右奥あたりからよく北側が見えそうだ。
展望台から見た島添大里城の眺望。北方面。資料によると北西方面(木で見えない)に首里城、北に浦添城、北東に中城城や勝連城が見える、とあるが。。。現地の肉眼でも、写真でも、識別できない。
展望台から見る北東方面。中城湾(太平洋)が見える。コチラの方向に中城城や勝連城が見えるのだが、やっぱり識別不能。あとで地図を見たらかなり遠かった。大きな建物が少なかった当時ならともかく。
展望台上から一の郭を見下ろす。右側の平場が御庭跡、左側のやや凸凹した基壇が正殿跡という。
では展望台から降りて、西の方へ向かってみよう。こちらはやや森の様相。
拝所だろうか、人工的な場所の跡も城道沿いにちらほら。
奥へ進むとどんどん森化、道以外は殆ど入れそうにない。
西の郭の一番奥まで来た。大きな御嶽があった。
カニマン御嶽 説明板。円筒形に石灰岩を積み上げ、円形の屋根石を据えた独特の形状は、大里地区の典型だとか。
一の郭へ戻ってきた。展望台のすぐ西側奥に、島添大里按司の墓があると資料に載っているので探してみる。この道の奥だろうか?
なんと、道が途中から崩落しており、島添大里按司の墓は発見できず。崩れてしまった!?
二の郭前まで戻ってきた。最後に、二の郭の西側に残るチチンガーという井戸跡を見に行ってみよう。
二の郭側からチチンガーを見下ろす。良好に石積みが残っているようだ。二の郭側からは降りれそうになかったので、車道側へ回り込んでみよう。
車道側からチチンガーへ。右側の説明板は最初に紹介した「大里城跡」のもの。
チチンガー 説明板。城門近くの城壁外に設けられていた井戸。地表から8m下に湧水地点があり、そこまで降りる階段が作られているようだ。
チチンガーの石積み跡。良好に残っている。生活用水として集落で使われていたとあったので、城内のように採石されることなく残っているようだ。
石段を降りてチチンガーへ。
石灰岩を掘って作った井戸。急に涼しくなる。こういう形態の井戸は中城など他のグスクでも見られる。
井戸付近から見上げる。ここだけ見ると食い違い虎口のようだ!

訪問時期:2019年3月
撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm

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Original article source:https://akiou.wordpress.com/2019/06/18/oozato-gusk/

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