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知念城 [1/2] 海を見下ろす断崖上に築かれた新旧グスク


知念城 [1/2] 海を見下ろす断崖上に築かれた新旧グスク

知念城(知念グスク)は沖縄本島 南西部にある標高80mほどの断崖上に築かれたグスクで、新旧2つの時代のグスクが隣接している。古城(クーグスク)は頂部にあり古い石積みが残るようだが深い森と化し散策困難。新城(ミーグスク)は一段低い位置に位置し整備も進んで散策しやすい。知念グスクは古文書で「神降り初めのぐすく」と詠われた霊場で、知念按司代々の居城であり、明治以降は番所や学校としても使われていた。

<基本データ>
●名称:知念城 / 知念グスク (Wikipedia)
●所在:南城市知念 (地図)
●城主:知念按司
●築城:不明
●遺構:石垣、城門
●時間:1時間 (1030−1130)

訪問時期:2019年3月
知念城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

知念グスクの駐車場は、城の北東部にある。眺望が人気の「カフェくるくま」に向かう上り道の途中。写真右側の広場が駐車場で、左側に見える側道(下り坂)の先が知念城。
下り坂入口にある知念城跡 説明板。古城はアマミキヨ時代(12世紀頃)、新城は尚真王時代(15世紀)に内間大親(うちまう ふや・尚真王の異母兄弟)による築城とされているが、正確なことは分かっていないようだ。
坂道を降りてしばらく進むと、右側に標柱が見えてきた。このあたり(城の北側)は旧城下町で、屋敷や詰所などが並んでいたという。標柱の右奥には当時の「ノロ屋敷跡」が残る。ちょっと入ってみよう。
ノロ屋敷跡。ノロとは祝女と書き、神職の女性を意味する。石列による建物の基盤部分が残る。
ノロ屋敷跡を越えて奥へ進むと、開けてきた先に巨大な石垣が見えてきた。
左の森が古城(クーグスク)、右の石垣の内側が新城(ミーグスク)だ。新城は整備が進んでいるが、古城はほとんどお手付かずで深い森と化していて、現在は入れないようだ。
知念城跡碑。奥に見える城門が正門にあたる。入る前に説明板を読んでみよう。
城跡碑の脇にあった説明板。40年ほど前の説明板で、当時はまだ新城も整備されておらず、今は積み直されきれいな姿になっている高石垣も「高さ3メートル」と書かれている。当時は3mほどの石垣が現存していたのだろう。
知念城 正門前。高さは5mほどあるだろう。城門に入ってしまう前に石垣をちょっと見てみよう。
北東端の石垣。沖縄独特の美しいカーブを描くような石垣。沖縄のグスクではサンゴや貝殻が堆積して出来た琉球石灰岩が使われており、穴が多く加工がしやすいことから、本土よりも相当早く切石による石垣文化が確立している。
石垣北面。右奥の城門があるあたりは石垣が波打つように曲げを多様しており、本土の城で言う「横矢掛け」(石垣に張り付いた敵を横から攻撃できる構造)的な意味もあったのだろうか。
では城内へ入ってみよう。先程の城跡碑前にある、アーチ状の城門。このあたりの石垣は古いままなのだろうか、右側の切石とはパット見でかなり異なる印象。崩れないよう木枠がはめ込まれている。
城門を入った先には、目隠しとなる蔀(しとみ)の石垣がある。資料によるとこれは琉球王朝時代にここに番所を設置した際に作られた「ヒンプン」と呼ばれる目隠し城壁とのこと。かつてはその奥に番所が建っていた。
城内からヒンプンと正門を見返す。城門の右側の石垣はやはり古くからあるもののように見える。ヒンプンの石垣は完全に草と苔で覆われている。
ヒンプンの裏側、番所跡。
番所跡と、城の北側の石垣と城門(裏門)。城の南側(写真でいう手前側)は断崖で、眺望も見られるのだが、それは後ほど。まずは裏門あたりを見てみる。
裏門。先程入ってきた正門に比べて、門の大きさ自体は正門より少し小さい程度だが、内側のスペースがかなり狭く、勝手口感がすごい。
裏門。左右に石垣が迫っており、とても狭い。アーチ門を構成する石は正門より大きい石が使われているが、それはアーチ自体が小さいからか、あるいは築かれた時代が新しいからか。
アーチ門の手前には、溝が掘られており中央に石橋のような構造が見える。正門は外側に石段があり、内側には何も無かった。
裏門から外に出てみた。裏門の外側にはもう少し大きな溝(横堀と言うには狭い)があり、ここにも石橋が通されている。
再び城壁の内側へ。石垣の上へ上がるスロープが見える。
スロープ手前の城壁内側に沿って、焚字炉(フンジロー)と書かれた場所がある。資料によると、これは中国明代の「文字を敬う」風習が伝わった際に字紙を焼くための設備として築かれたものという。書き損じの紙をただ捨てるのではなく専用の炉で焼いていたようだ。番所や村屋などに設置されたという。
スロープは、いかにもサンゴな化石が散乱していた。琉球石灰岩がサンゴから成っていることがよく分かる。
スロープを通って石垣の上へ。沖縄の石垣の多くは、本土のそれとは異なり、内部は土ではなくすべて琉球石灰岩で構成されている。石が加工しやすいことによる技術だろう。本土の直線的な石垣と比べ、沖縄のカーブを描く石垣を見ると、中国の万里の長城や朝鮮王朝の城で見られるような「城壁」感が強い。
こちら側は整備時に積み直しがあまりなされなかったのか、反対側と比べて上部が崩壊しているようにも見える。
石垣の上から、新城全体を見る。手前(北)より奥(南)側が少し高くなっている。南側にはかつて、男子禁制の聖地であり久高島への遥拝所だった「友利之嶽(とむいのたき)」があったという。
石垣の隅部から見た新城全景。
石垣の上から、古城側を見てみる。古城の森に向かって石垣が伸びており、そのまま森へ吸い込まれている。資料によると、あの先にも石垣は伸びており、古城の周囲をぐるっと巻いているという。もう少し近寄って見てみよう。
端っこあたりまで来た。少し石垣が丸く膨らんでおり、その先にもわずかに石垣が伸びているのが見えるが、尋常じゃないぐらい木々が生い茂っており、まったく寄せ付けない。古城は諦めて、新城をじっくり見よう。

>> 知念城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2019年3月
撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm

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Original article source:https://akiou.wordpress.com/2019/06/21/chinen-gusk/

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