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第332回:大西城(阿波 最西部の重要拠点であった)


第332回:大西城(阿波 最西部の重要拠点であった)

訪問日:2017年5月

大西城は徳島県三次市にあったお城で池田城,大西池田城とも呼ばれます。
北側を吉野川に面し南側に旧 池田町の町並みが広がる上野台地と呼ばれる細長い丘陵上にありました。
鎌倉時代の1221年 承久の乱で功のあった小笠原長清が阿波守護として入り,その子の小笠原長経により築かれ,阿波国の西端にあるため大西と呼ばれることになったとされます。
南北朝時代に小笠原氏が三好氏と名を変え勝瑞城に移った後は近隣の白地城とともに大西氏が支配しました。
豊臣政権下では蜂須賀家政が阿波国を治めることとなり大西城は阿波九城の一城として整備され,1638年の一国一城令で廃城となりました。

大西城/  大西城/02城碑.jpg
●川と町に挟まれた細長い丘陵自体が城跡を感じさせるものではあるのですが,唯一と言って良い遺構が三好市立池田幼稚園に残っています。
●幼稚園の前にある城碑。史蹟 大西池田城趾 とあります。

大西城/03南側.jpg  大西城/04石垣遠景.jpg
●道路の南側には眼下に池田の町並みが広がり,かなり切り立った丘陵であることがわかります。
●幼稚園の下に石垣が見えてきました。

大西城/05石垣1.jpg  大西城/06案内.jpg
●この石垣野面積みで蜂須賀時代に整備されたようです。
●案内板がここにあるのですが,幼稚園を櫓台のような遺構の上にそのまま建てて,東側の一部を見学できるようにしたそうです。

大西城/07石垣2.jpg  大西城/08北側.jpg
●このように保存しながら見学もできるようにして頂いているのは有難いことです。
●こちらは北側の眺望ですが吉野川の河岸となっており,天然の要害であったことがわかります。

幼稚園の下に顔を出す石垣は奇妙な光景なのですが,阿波の西を押さえる拠点であり,遺構らしい遺構がここだけとあっては非常に貴重。むしろ南北を崖で挟まれたがらも東西にスペースを確保したこの立地に城らしさを感じるのです。主要戦国大名であった三好氏所縁の城でもあり,近くを通ったら立ち寄りたい場所です。


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