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第333回:白地城(長宗我部元親が四国統一の拠点としたが夢潰える)


第333回:白地城(長宗我部元親が四国統一の拠点としたが夢潰える)

訪問日:2017年5月

白地城(はくちじょう)は徳島県三次市にあったお城で白地大西城とも呼ばれ市史跡に指定されています。
建武年間の1335年 田井荘の庄司であった近藤京帝が城を築き,後に大西氏と改称し戦国時代までの250年に渡りこの地を支配しました。
現在の四国を形成する阿波,讃岐,伊予,土佐からの交通が交差する非常に重要な場所にあり,1577年 土佐より勢力を伸ばし四国統一を目指した長宗我部元親はこの地に目をつけ侵略しました。
この時,城主であった大西覚養(おおにしかくよう)は麻城に逃れました。
1585より豊臣秀吉軍が四国征伐を開始すると白地城は重要な防御拠点として機能しましたが,敗れ土佐に退却。この時に廃城になったと考えられます。以降の地域支配拠点は近隣の大西城に移りました。

白地城/01遠景.jpg  白地城/02あわの抄.jpg
●吉野川を渡る池田大橋からの遠景。
●現在,白地城跡にはあわの抄という温泉施設が建てられており,残念ながら以降のほとんどは破壊されています。

白地城/03案内.jpg  白地城/04敷地内土塁?.jpg
●温泉施設の敷地内にある案内板。
●施設の南端には遊歩道の入口があり,さらに南側は大西神社の境内となっています。

白地城/土塁 白地城/遊歩道
●草の中に土塁の残欠と思われる部分が残っています。
●温泉施設の背後は遊歩道があり回り込めるのですが,横は崖になっており天然の要害であったことがわかります。

白地城/05眺望.jpg  白地城/06城碑.jpg
●施設の裏側からは先ほど渡ってきた池田大橋が眼下に見えます。
●施設の南側,白地児童公園にある大西神社の横には白地城址城碑。背後は切岸,土塁の一部と考えられ僅かに城跡を想起される部分です。

白地城/07土塁.jpg  白地城/08バス停.jpg
●少し引いてみますと,確かに土塁のように見えます。
●城跡であることを示すバス停。

何でこんな歴史的にも地勢的にも重要な城跡に無慈悲にも温泉施設を建てて遺構を破壊したのだろう。
それにも関わらず市史跡ってツンデレですか? どうしたいねんと突っ込みたくなります。


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