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第372回:古宮城(武田氏の東三河前線基地といわれる土の名城)


第372回:古宮城(武田氏の東三河前線基地といわれる土の名城)

訪問日:2018年4月

古宮城(ふるみやじょう)は愛知県新城市にあったお城です。
市史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。
築城時期や経緯については不明な点も多いのですが江戸時代の三河二葉松によると1573年 武田氏の東三河侵攻のための拠点として築かれ,武田軍の名将 馬場信春による縄張りとされています。1575年の長篠の戦いで武田氏が敗れ勢力が縮小したことにより廃城となったと考えられます。

古宮城/01作手歴史民俗資料館.jpg  古宮城/02遠景.jpg
◆訪城前に城の北 700m程度の場所にある作手歴史民俗資料館で城に関する資料を集めると良いでしょう。
続日本100名城のスタンプもここにあるそうです。
◆古宮城は比高30m程度の小高い丘全体に築かれています。

古宮城/31模型.JPG
作手歴史民俗資料館にあった古宮城の模型です。
独立丘陵全体に縄張りが築かれていることがわかりますが,凹凸だけなのです詳細は少しわかりにくい。

古宮城/縄張り.JPG
模型の上に展示してある縄張図です。
東西の本丸と書かれており2ヶ所に主要部があるように見えますが,実際には東本丸が中心部であり西本丸は馬出のような役割であったと考えられています。今回は白鳥神社の参道を上がり左回りに進み西本丸から東本丸へアクセスしました。

古宮城/03入口白鳥神社.jpg  古宮城/04白鳥神社.jpg
◆麓にある白鳥神社の参道より登城します。立派なヒノキが聳え立っています。
◆白鳥神社境内の様子。

古宮城/05南側堀.jpg  古宮城/06竪土塁.jpg
◆参道の上には横堀がありますので,堀に沿って西側から回り込みます。
◆社殿の屋根の方に向かって伸びる土橋のような遺構と竪堀

古宮城/07大手虎口.jpg  古宮城/08二郭切岸.jpg
大手筋は城の南西側,現在民家のある場所から繋がっていたようです。
◆大手筋から虎口を抜けると正面には西本丸(副郭)の切岸に当たり丁字路になっています。右(東側)が白鳥神社方面で,左(西側)より回り込ん西側の主要部に向かいます。

古宮城/09曲輪Ⅳ上の土塁堀.jpg  古宮城/10曲輪Ⅳ.jpg
◆引き続き横堀土塁に沿って進みます。
◆眼下には南西側に展開する曲輪土塁で囲まれていることが分かります。

古宮城/11北側土塁堀.jpg  古宮城/12北側土塁2.jpg
◆西本丸(副郭)の下を北側に回り込んでいきます。
横堀の中を進みますが,当時は制約された土塁の上を進んだのでしょう。

古宮城/13下方の土塁堀.jpg  古宮城/14虎口B付近.jpg
◆下側に目を向けると,さらに下方の外側も横堀土塁が巻いていることが分かります。
◆正面は竪堀で遮られ,折り返して曲輪(縄張図の西三丸)に入るようになっています。

古宮城/16大竪堀.jpg  古宮城/17屈曲する城道.jpg
◆北に向かって降る大竪堀
◆曲輪の周辺はこのように屈曲した横堀土塁が張り巡らされています。

古宮城/17虎口C.JPG  古宮城/18曲輪Ⅱ.jpg
◆西本丸(副郭)への虎口です。左に屈曲しながら入る枡形虎口になっている様子がわかります。
◆縄張図では西本丸・西二丸となっている曲輪です。
土塁で囲まれたこの曲輪は実質の本丸である東本丸に対する馬出的な役割を果たしたと考えられており,武田流築城術の特徴を示していると言えます。

古宮城/19副郭.jpg  古宮城/20曲輪Ⅱ仕切土塁.jpg
◆西本丸を囲む土塁
◆西本丸と西二丸の間に築かれた仕切り土塁

古宮城/21土橋D.jpg  古宮城/22主郭堀.jpg
◆東の本丸へは写真の土橋を渡ります。
◆土橋の横には巨大な堀切・竪堀があり城域の東西を分けていることがわかります。

古宮城/23虎口E.jpg  古宮城/24主郭.jpg
◆これも見所の一つ。東本丸の虎口は両袖枡形虎口と呼ばれる武田氏の城郭で見られる変則枡形虎口。
通常の中世城郭の枡形虎口と比べても敵をおびき寄せて封殺する空間が広いように思います。
本丸は土塁で遮られている上に一段と高いところにあり,外からは様子が分かりません。
東本丸(実質の主郭)の様子です。虎口を抜けると曲輪内部は低くなっています。
中央に仕切り土塁が設けられ居住空間と戦闘用空間を分けていたと考えられています。

古宮城/25主郭2.jpg  古宮城/26虎口?.jpg
◆東本丸の全体の要する。左側には虎口を守る土塁が見えます。
◆これは東本丸の東側に空いた窪み。東側の曲輪に下りる虎口であったのでしょうか。

古宮城/27櫓台.jpg  古宮城/28櫓台から堀.jpg
◆東本丸の南東端にある櫓台跡。これは先ほどの大堀切・竪堀土橋,さらには西本丸側を見下ろす位置にあり,攻撃の重要な施設であったと考えられます。
◆櫓台より堀切を見下ろしています。中々の規模であることが分かりますね。

古宮城/29外堀2.jpg  古宮城/30外堀3.jpg
◆城の山麓外縁を見てみると水堀の名残が残っています。これは東側。
◆西側は水路の様になっていますが,やはりがあったと思われます。
このように平山城の山麓を堀で囲む手法は徳川氏の築城術にも見られるとのことです。
従来の武田流築城術に加え,近年では徳川氏の手も入っていたのではないかとも言われています。

歴史上に多く出てくるわけでは無いのですが,良く残る戦国の縄張りから武田氏の前線基地として重要な役割果たしたことが思い起こされます。


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